施術者

  村山 理(みち)
  1971年生まれ 高知県四万十市出身

  短大卒業後、横浜で就職したが4年で退職し故郷へ帰る。
  故郷では毎日自然と戯れ、ストレスのない生活に満足。でも思うところがあってまた上京。
  治療院と事務のアルバイトをしながら鍼灸学校に通い、鍼灸師となりました。

 鍼灸師になった訳~

病気になった母と一緒に過ごした経験があったことから、医師でも看護師でもない私が病んでいる人のために何かできることはないか?それを職業にできないものか?と考え、最初は手技療法に興味を持ち上京して仕事を始めました。その職場で同僚の鍼灸師に鍼を打ってもらうことがあり、一発で痛みがとれる不思議を何度か体験しました。東洋医学はなんだかよくわからんけど凄い!!鍼灸師になれば病んでいる人の力になれる!誰かに喜んでもらえる!と思い鍼灸師を目指すことになりました。

鍼灸師の資格を取った後、治療院に勤め鍼を打ち始めましたが治療効果はいまひとつでした。1回の鍼で感動してもらえるとか、明らかに症状が改善したといったことが多くありませんでした。
鍼ってこの程度なのか?こんなぼんやりしたもの?いやそんなことはない、自分にはまだまだ何かが足りないのだと、手本となる良い治療法を見つけるため、本を読んだりセミナーに参加したりしていましたがどれも多少参考になる程度で、理論と裏付けに乏しいものばかりでした。こうなったら自分の体で試して効果のある鍼を見つけていくしかないかなと考え、浅い鍼深い鍼、ひびきがある場合ない場合、パルスをしたときと置鍼(鍼を刺したまましばらく置いておく)のみの場合、置鍼時間を色々変えて、などといろんなパターンを試し一番効果のあった方法で実際に患者さんを治療していました。とはいっても自分自身に刺して実験できる部位は限られていますし、私自身頻繁に痛いところがあるわけでもありません。
あとこんなこともしてみました。以前、脳卒中後遺症で片麻痺の患者さんを治療していた時期がありましたので川平法(片麻痺回復の運動療法)の理論と鍼治療とをミックスさせた方法を考え出し、すごいことを発見したとほくそ笑んでいましたが実際この方法が使えるか自分で試した結果、あまりにも痛すぎて全く使えないものでした(=_=) 残念

しかしある時、超激レアな浅野周先生のセミナーに参加したことで北京堂鍼灸を知りました。たしかタイトルが「鍼で食っていく方法」みたいな感じで、このタイトルにひかれ参加を決めました。鍼で食っていきたかったからぁ。
そのセミナーはそれまで受けてきたものとは全然違い、自分が求めていたのはこれだ~!!と感じました。やっと理想の治療法に出会えた!!と、とても嬉しかったのを覚えています。北京堂の治療理論と治療効果には感動し驚きました。
鍼の本数にも驚きました(+o+)
浅野先生の北京堂HPを見ていただくと色々詳しくわかると思います。
その後、患者として北京堂で治療を受けました。その時は自律神経失調症(自己診断)であったり、腰痛股関節痛があったりしましたので首から背中、腰、股関節など鍼を打ってもらいました。やはり思っていた通りすごいインパクトと治療効果!!これまで受けた鍼とは全く違っていました。
私もこんな治療がしたい。絶対できるようになりたい!!

そして北京堂代表浅野先生のところで修業のチャンスをいただきました。北京堂式をマスターし当時勤めていた治療院で実践すると治療効果が格段に上がり患者さんに感動してもらえる鍼を打てるようなりました。

ベタですが社会人とは社会貢献すること、人を喜ばせることだと思います。私は鍼灸をもって誰かに喜んで欲しいと日々治療にあたっています。そして、医療人は親切でなければならない、をモットーに皆さんに丁寧に接していけたらと思っています。

北京堂での修業時代、病院に行ってもどうにもならず、様々な痛みを抱えている患者さんが思っていた以上に多くいるのに驚きました。

そういった患者さんを

鍼で治す!

誰よりも早く治す!

そして日常生活を楽しく過ごしてもらう!

これが私のやりたいことです。

現代医学とは違ったアプローチで痛みに対応できる鍼をこれからはもっと多くの人に知ってもらいたいです。

治療法が確立している北京堂の鍼ではありますが、師匠である浅野先生であっても今なお鍼治療を進化させています。私ももっともっと「治せる鍼」を打てるようになるため精進していきます。